出雲大社御奉納、その3

 

 

出雲大社、正式参拝そしてアマミ舞御奉納、参加させて頂いた一人ひとり、私たちは感謝と共に今この喜びを深く噛みしめています。ここに来るまでには、それぞれの道のりがあって…様々なプロセスを経験した分、受け取るものも大きいと言えますが、この度の出雲へのお導きは計り知れなく、改めまして出雲の大国主大神様へ心からの感謝を顕したいと存じます。

そして、先生はいったい何者なのでしょう。花柳 鶴寿賀率いるアマミ舞の名のもとに、この国の始まりである出雲に入るということが何をもたらすのか今は分かりかねますが、その意味を私たちはこれから知ることになるのでしょう。

 

 

稽古は4月から始まりました。今回の御奉納では、「君が代」ではなく「ひふみ」でもなく、古くから歌い継がれてきた「わらべうた」に「童謡」と聞いて最初は正直びっくりしたのですが、先生は日本舞踊の世界の人でありますから、オリジナリティー溢れる独特の演出をされるだろうと思っていました。私たちは、これまでとは全く異なる世界を垣間見ながら、歌にセリフに振り付けを憶えることに集中しました。昨年の森羅万象などに比べたら、さほど難しい振り付けではないのですが、日本舞踊ならではの体の使い方や繊細な仕草など、芝居がかった部分もあり、少しでも恥ずかしいという表情が出てしまったら、一瞬にしてすべてが台無しになると鶴先生の厳しい演技指導が入りました。何より、畏れ多い出雲大社御本殿に立ち、いかに我を忘れて童心に帰ることが出来るのか、この今に向き合う必要もあったという訳です。

 

 

更に驚いたのは、稽古時間があまりに短いということでした。これについても、今までにはなかったことでありまして、稽古は2日間とも5時で終了!その後は、ゆっくりお食事して温泉にも浸かれる。こんなことは今までなかったのです。もちろん、御奉納の準備だったり、歌や振り付けのことで頭がいっぱいになりますが、普段ゆっくりお話をすることの出来ない仲間との親睦も深めることが出来ました。出雲の神々から頂いたご褒美だったのかも知れません。

令和になって、一人ひとりの意識を高めていきながら、鶴先生は新たな流れの中で今に相応しい変化をどんどん起こしていかれます。その背中を拝見しながら、私たちは自分に出来うる最大の貢献は何かについて考えずにはいられなくなります。もちろん、舞うこと踊りが上手になることが一番だと思いますが、鶴寿賀先生の起こす奇跡についていけるよう、何と言っても先生が目指す先には常に歓喜が待っています。この歓喜を感じ受け取るためにも、心の筋肉を鍛え精神を整えて行けねばと思うのです。しかしながらそれは、ネイティブの精神を持つ、あまみんちゅうの精神かも知れません!出雲と奄美、時代がどのように変わろうとも失うことのない大切な何かをこの二つの場所には存在しているように感じました。

 

アマミ 富士

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