天河に滞在中、毎日6時半から始まる朝拝に参加し、稽古の前に能舞台のお掃除をさせて頂きました。廊下や柱を磨いていると、まるで木から生き生きとした波動を感じ、掃除をしながら身を清められていくプロセスを体験して行くのでした。
4日午後からは、参集殿にて柿坂匡孝禰宜宮司様の大切なお時間を頂戴して、貴重なお話を伺いました。この様な会を開いて頂けるとは、何と恵まれているのだろうと感動を胸に宮司様のお姿に釘づけになってしまいましたが、鶴先生を始めとするアマミ舞の舞人たちに対して、大歓迎して下さり、緊張していた心が和らいでいくようで、大変有り難かったです。
匡孝禰宜宮司様は、天川の地が開かれ弁財天様を祀られるまでのお話や神社にとっての祭りということについてお話されました。そして、祭りは過程が大切なのであり、神様はそこを見ておられると仰っていたのが印象に残っています。それは、私たち一人ひとりの人生においても同じことが言えるのだろうと思いましたし、二日後に御奉納を控えた私たちに対して投げかけて下さったお言葉のようにも感じました。
鶴先生と天河神社との関係は非常に深く、先生はもう30年間御奉納を続けてこられました。天河神社にとって、そして鶴先生にとっても、大きな節目を迎えている今、ここに自分が存在することが奇跡のように感じました。
8月5日は、60日に一度の己巳(つちのとみ)の日、弁天様をお祀りする縁日ということで、天河大弁財天社は早朝から、太鼓や法螺貝の音、お経が境内に響き渡っていました。朝拝に参加した際、このような日にここにいらっしゃる皆さんは、弁天様にご縁が深いですね…宮司様は、そのように仰って、舞を志す私たちに対して、温かい眼差しで見守って下さっていたように感じます。
しかしながら、宮司様のお話を通じて受け取ったものは、節目としての分岐点ではなく、新たなる始まりに立ち向かうタイミングであり、その扉が今開こうとしているという未知なる世界への誘いでありました。
そして、お話の中で、祈りについて、幾度も語られていましたが、祈ること以上に、祈ることが出来る自分になるということが大切…と伝えて下さいましたが、このことが最も重要なメッセージであろかと今も思うのであります。
アマミ 富士 拝