出雲御奉納 その4

 

還ろう 光満ちる あのふるさとへ ~

もともと わたしたちは

これほどの光に 包まれていて

こここそが たましいの ふるさと

ならば ただ 童謡を歌っていた

幼な子の あの頃のように

スキップしながら おうちへ帰ろう

あの ふるさとへ 帰ろう

そうして この度の出雲大社様への

御奉納へのお稽古が はじまりました

🐰

 

 

御奉納 という言葉さえ

この純粋さに 相応しくないほどの

まるで 光 のような

あるいは 愛のような

目に見えぬ 暖かくやわらかきもの

然し乍ら その柔らかきエッセンスを

正確に形にするために

鶴寿賀先生という

生まれながらの舞姫様は

ただ一点に澄みきり

定まったプロフェッショナルな視点で

まるで コンパスが

その一点を礎に 正確な円を描きながら

やがて 神聖な幾何学を形作るように

あるいは 水晶が

氣の遠くなるほどの時を経て

透明な 結晶となるように

神のような舞の設計図を

心にズンと持たれ

常に柔らかな あの笑顔で

ピシャリ 凛と ご指導される

誤魔化しは 一切 見逃されないのだ

目線の先には 常に完璧なる神聖幾何学

しかも その神聖幾何学は

ふわふわと暖かく懐かしい

そんな摩訶不思議な世界を

今 正確に お伝えできているだろうか

ただ きっと 人 という生き物の

目指すところが 多分 そこなのだ

正確に刻む鼓動

休むことなく日夜生産される細胞

それを包むは 柔らかな笑顔

だから きっと 人 が

先生が今まで出会われてきた 暖かな人が

この作品の中に 生きている

だから それは 生き物で

この「わたしの歌」という作品の中

あまたの幼な子が

ずいずいずっころばしや

七つの子や 通りゃんせを歌いながら

今も あの出雲大社のお社のあちこちで

歌って 踊って ウフフ 笑いながら

愛は 光は 柔らかく

どんどん 増殖していることだろう

🐰

 

 

さて 本番一時間半前のリハーサルで

出雲大社拝殿の 舞台の正面が違います

御正客様は お客様席ではなく

御本殿にいらっしゃる大神さまです と

出雲大社の御神官のお資格も持たれる

笛の雲龍さんから お伝えいただきました

わたしは ただでさえ

自分の舞の振りが覚束なく

此の期に及んで

また振りが変わってしまうなんて と

まさに天地がひっくり返りそうでした

でも 先生は迷うことなく すぐさま

前と後ろが入れ替わった

ポジショニングを考えられ

着替えを入れて一時間半前という

ありえない時間の中で

それでも 怒られるわけでもなく

感情を乱されるわけでなく 平常心

思えば 全責任を負われる先生が

一番お大変でいらっしゃったのに…

そして そこからまさに リアルに

かごめかごめの わらべ歌の謎の世界が

突如 始まったわけですが

鶴と亀が統べって

後ろの正面だあれ の世界が

本当に 間際に 後ろが正面になり

アリスのウサギ穴のような摩訶不思議が

神世の世界が 今の瞬間と

メビウスの輪のように

裏と表の のりしろを繋ぐ魔法が

過去と未来が 時空を超え

あの時 大神さまの目の前で

確かに溶け合い 揺らぎ 統べりました

🐰

 

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舞というのは もっと爽やかなものなのよ

そう教えていただきました

雲龍さんが 笛の音で 御神殿の中の

空を浄め 道先をお示しくださる中

先生が 大神さまの前で 舞われる時

過去のしがらみの重さや

現実をまとわりつく不鮮明な空気を

真菰という神草を手に 空を切り

まるで 大海原に漕ぎ出でる

一艘の葦舟のように

爽やかに 爽やかに 水面を進み

そして その後に 今という現実を

確かに 時を後ろに従えていらっしゃいました

そして打ち上げの後

舞の時に使われた この真菰草を

一本残らずわたしたちに

分けてくださいました

先生ご自身には 一本の思い出も残さずに…

先生 舞人の皆さまがた

この度も どうもありがとうございました

 

撮影は、須田 郡司さん(写真家)よりご提供頂きました。

郡司さん、この度は大変お世話になり誠にありがとうございました。

 

小川 真愛 拝

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